10月ももうすぐ終わり。。
今月は97歳のブロムシュテット、7年ぶり復活のデュトワ、ラフマの素晴らしいルガンスキーと念願の演奏を聴くことができました。
素晴らしいものに触れることは、ダンスもそうですが、目が開かれるというか私の中の感性レベルも少し高くしてくれるような気がします。
さて、刺激的なタイトルですが、これは音楽コンクールでのお話です。
ですが、ダンスにも言えるのではないかと思いました。
なぜなら、
・ハイレベルの選手は国内外のビッグコンペで切磋琢磨。トップのレベルやトレンドも見聞きしている。
・トップレベルの様々な教師に師事し知見を高めている。今はオンラインレッスンなど機会も多い。
・Youtube、配信等で研究・学びがしやすい
といったことがあるからです。
次の記事は「ぶあらぼ」というクラシック音楽・ダンス(バレエ多い)の情報誌・サイトの記事です。
前回審査の講評について記事をあげたことなどから調べていて見つけました。
興味深いと思ったので、貼っておきます。
「これだからコンクールは面白い! 物議を醸してきた個性派審査員たちと審査の舞台裏」
<面白かった点・ダンスと共通していると思った点>
・フィギュアスケートとの相違点
(→ダンスも技などではっきり点を付けれないのは同じ)
・テクニックの差が歴然としていた時代(レベル)は技術点のような分かりやすい判定もできた。しかし教育システムが整備され、技術でさほど差がつかなくなってくると解釈や表現で違いを見せようということになる
(→ダンスも上位になると、技術で差が付きにくいことありますよね)
・情報化時代にあってはコンテスタントの方が最近の動向に通じていて、審査員の知見が追い付いていないのではないか。たとえば18世紀的に解釈するか19世紀的に解釈するかなど、研究が進み、様々な解釈・演奏がありえるといったこと。
(→ダンスもコロナ明けに海外のレベルが上がってびっくり、みたいのありましたよね)
・楽譜通りにきっちり演奏するか(モダン)、実は昔行われていた変則的な演奏がよいか(バロック)など好みや主義主張もある。
・変則的なもの、アドリブなども理論的に正しいのか・めちゃくちゃなのかは判断基準も必要だろう。
(→ダンスもほとんどベーシックで美しい背筋でゆったり踊るのがメインだった時代から、だいぶ変わってきている。とはいえ守るべきポイントもあるだろうし)
・政治的な思惑ほのか、数字的なものもある。本戦のみで順位をつけるか、予選の内容も込みでつけるかなど。
(→この辺りもダンスと被る面が。。波がありそのラウンドが素晴らしかった人に有利か、コンスタントにレベルを維持する方が良いかなど)
・審査員も研修・どのような基準にするかの申し合わせをした方がいい。審査員は受賞者など実績もあり、能力も十分に高い方がなっていると思うが、多様化の進む時代に対応することはやはり簡単ではない。門下制による伝承式の教育に縛られていることも一因かもしれない。
(→審査員も不断の努力がいるというのは、皆さん納得だともいます。またこういうジャンルではどうしても●●先生派で学ぶということになり、より多くの派に触れること等は難しい構造でもあるでしょう)
なるほど、、でした。
講評については、知り合いに見せてもらったピアノのコンクールの結果などをみて、これは育成レベルの人にすごく役立つな、と思ったことがあるのですが(記事)(*)、やはりトップ・レベルの審査内容も学びが多いのだなと気づきました。
*音楽コンクールでは、やはり審査結果の公表だけのものもありますが、講評文や観点別の点数・評価がいただけるものが多いようです。公表されるもの、その出場者だけに知らされるもの、各審査員のコメントがそれぞれ全部いただけるもの、全体的な説明のもの、など様々。ですが演奏者や指導者も講評文やコメントを読み込んで、ステップアップに生かしています。
まあ、どういうものを良しとするか、意見の統一は難しそうですし、観客や選手の印象と違うこともありそう。また派閥や政治もなくならなさそう。。ですが、考え方を示すことは、忖度や恣意的なものの度合いをかなり低めていくことになると思います。
「統一」「三笠宮杯」のように、国内でも非常に注目度の高い試合の場合、どのような考え・判断でそうなったのか、知りたい選手・愛好家は多いんじゃないでしょうか。
とくに日本の皆さんは勉強熱心だし。。まずは海外でも時々ある審査員の講評の公表をお願いしたいな~と思いました。
(まぁ、難しいかなと思いますが。。)
やはり文章でそうした考え方を示していくことは、日本のダンス自体のレベルアップや審査能力の向上、透明性公平性の維持に繋がると思います。
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